2009年05月31日

雨の日のつつじ

しとしとぴっちゃん・・・雨が降る。

ピンクと緑が艶やかに(でもないけど)・・・映える。

tsutsuji2.JPG

生える・栄える・這える・葉得る


どれも似合いそう
posted by hakobulu at 17:42| Comment(4) | TrackBack(0) | ある日の風景 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年05月20日

ホッケ

妹夫婦がホッケを持ってきてくれた。

hokke .JPG


釣具万端整え、朝3時に起きて遠出したらしい。
この夫婦は山菜取りやら、キャンプやらと自然の中に出かける健康的な趣味の持ち主だ。

数十年前は夫婦喧嘩したあげく、妹が幼い子供二人を連れて転がり込んできて、絶対戻らない、と一週間ほど泊まっていったこともあった。
言い分はあったろうが、旦那のほうが折れて謝りに来、もとの鞘に収まった。
3人の子供も今は結婚したり、仕事に学校にとそれぞれ家を出ており、夫婦水入らずの生活である。

ホッケは煮付けにして食べたが、どうも干物のほうがうまいような気がする。
 
 
posted by hakobulu at 12:50| Comment(4) | TrackBack(0) | ある日の風景 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年05月15日

犬の毛触り

84歳(だったと思う)の叔母がいる。
40年ほど前に離婚した。
息子が2人いた。
下の次男を引き取って一緒にアパートで暮らしてきた。
長男は会社の後継者として父親と他の市へ移住した。
お互いの住居は特別離れているわけではなかったが、気軽に行き来できる距離でもなかった。

甥の私が言うのも何だが、叔母は若いときからかなりの美人でこの年になってもその面影はある。
離婚後は慰謝料を元手に商売を始めたりしていたが、うまくいかず、仲居などの好きなサービス業を転々として生計を立てていた。
10年ほど前から足腰が弱り、体調の良し悪しで出歩ける日が限られるようになった。
私の母親(本人の姉)の葬式にも来られず嘆いていたことがある。

まだ離婚する前、私が小さい頃にはお互いの家をよく行き来したし、私にとってのいとこである二人の息子とも楽しく遊んだものだ。
離婚してからは、私が関西に長かったせいもあり、叔母と会う機会は殆んど無かった。
生前の私の母親とも何か確執があったらしい。(死の直前に和解したが)
私の母親の死後は年に1、2回顔を合わせるようになったが、同居している次男のほうとは40年以上、全く会っていなかった。

叔母とその夫との確執は相当根深いものがあるように感じる。
離婚直後はそうでもなかったようだが、生活が苦しくなっていくにつれ、夫についていった長男をもいつしか夫と同一視し、敵視するようになっていったような気がする。
この憎しみは長男の神経をひどく蝕んでいるような感触も受けた。

叔母は一昨年骨折して入院した。
同居していた次男が何かと世話を焼く立場になった。
たぶん散発的な仕事よりしてなかったように思う。
叔母の収入は国民年金のみだろう。

叔母がまだ入院中の去年のはじめ、その次男は自宅であるアパートで自殺した。
病院の支払いが滞り、催促にいった関係者と警察によって発見された。
叔母も立ち会った。
他に身よりは無いと言い張る叔母の言葉を信じ、市の関係者は無縁仏にするつもりでいたらしい。

しばらくして息子がもう一人いることが判明し、父親と長男が骨壷を引き取りに来た。
叔母は一人で暮らせる状態ではなく、昨日、老人ホームに入居した。
骨折はよくなったようだが、長い入院で筋力が大分弱っているようだ。

同じ市内に暮らしているが、ここ5年以上も行き来はなかった。
年賀状の返事が来る年も来ない年もあった。
叔母の骨折やいとこの自殺は寝耳に水というやつであった。
父親と住んでいる長男が叔母を見舞った帰り道、40年振りに訪れて知らせてくれた。

今日、叔母に会うため老人ホームを訪れた。
次男が生前に買ってくれたものだ、と繰り返しつつ、犬のマスコットの頭を何度も何度も愛おしそうになで、長いあいだ彼女は、ほんの少しばかり目やにのついた濁りかけのまなこから、あふれる滴をひたすら化粧もないやや乾燥気味の頬に流し続けるままにした。

いくぶん毛が長めのマスコット犬であったが、これから暑くなるにむさくるしいほどではないな、と思った。
叔母と一緒にその毛を撫でた。
手触りは悪くはなかった。
そう安いものではないだろうな、という気がした。
何とかいう種類の犬に似ているとも思ったが、どうもうまく思い出せなかった。
 
posted by hakobulu at 23:17| Comment(0) | TrackBack(0) | 日々雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年05月11日

『なんで出来ないの?』

と言われるのは、おそらく「お前はどうしようもない人間だ」と根底から人格を否定されているような気になるんだと思う。

以前、関心を持って調べたことのある ADHD という
「注意力・衝動性・多動性を自分で完全にはコントロールできない脳神経学的な疾患」
についてちょっと振り返ってみる。

「他の人なら普通にできることができない」と一番感じているのは、おそらく本人自身だろうと思う。
痛切に感じていると思う。
「なんで出来ないの?」という問い、もしくは責めは、足の不自由な人に向かって、
「なんでちゃんと歩かないの?みんなちゃんと歩いてるんだから、君も普通に歩いてよ。」
と言っているのと同じことになるだろう。

ADHD の人はある方面で才能を持っている場合が非常に多い。
あくまでたとえだが、足は悪くても手がとても器用で、洋服のデザインを発想したり描いたり製品化したりすることに秀でていたりする。
このような場合、洋服デザイナーという職業は本人にとってもはや生活の単なる手段以上のものと位置づけられることになるはずだ。

それは、自己実現そのものになるのではないだろうか。
仕事というのは多かれ少なかれそういった意味を含んではいるが、
足が悪いという自覚があるだけに、手が器用であることを是が非でも証明したいという思いに(強く)駆られると思う。

そして重要なことは、それを他者から認められることだろう。
「認められること」を強く、というより切実に求めているはずだ。
働いた結果を認められたり、賞賛されたり、御礼を言われたりするということは、人格を認められることと同義になるのだと思う。
中学生がお小遣い欲しさにちょっとアルバイトでお金を稼ぎたいということとは全く別の次元がそこにはある。
そして、繰り返すが、そのことが ADHD な人にとっては圧倒的に重要なことだ、ということだ。
周囲にいる人はここに留意する必要がある。

足の悪い人に対して、
「普通に歩きなさい」と言ってはならない。
相手を徹底的に馬鹿にすることになるから。
「なんで普通に歩かないんだろ」と思ってはならない。
あなたが他人の目を見て自分に対するその他人の感情を推測できるように、ADHD な人はあなたの感情を敏感に察知するだろうから。
それは理不尽な無理解を相手に伝えているのと同じことだろう。

「徹底的に馬鹿にされ、理解もされない」
このように感じたら、人はどのように行動するだろうか。
「徹底的に馬鹿にし、理解しようとしない」
のではないだろうか。

であるから、
「徹底的に馬鹿にされ、理解もされない」
このように感じたら、
「徹底的に馬鹿にし、理解しようとしない」
ということを自分が先にやってこなかったかどうか、という検証をしてみるのが良いと思う。

この場合、重要なのは、
「普通に考えて自分のほうが正しい」
という発想をするのは不毛だ、ということ。
「普通でない」としても、わざとではない。
先の例のように足の悪い人に「ちゃんと歩きなさい」という人はいないだろうが、
目に見えない疾患を背負っている人は大勢いる。
たとえば、心臓にペースメーカーを入れてる人の傍で携帯を使ってはいけない。
知らなければ「なんて我侭なことを言うやつだ」と腹を立てても仕方ないだろう。
しかし、そのことを知っているのに、「早く治してよ」とか「不便で困るんだよね」とか言う人が果たしているものだろうか?

自らに対する不便さに最も歯がゆい思いをしているのは本人なのだ、と「信じる」ことが一番大切なように思う。
そこに条件をつけてはいけない。
「あれをしなかったら」とか「こうしたら」とか。
人はしばしば服のボタンを掛け違う。
最初のボタンの掛け違いにまず気づかないと、途中のボタンをいくら直そうとしても元には戻らない。

ADHD な人はおそらく他者との距離をとるのが上手ではないと思う。
結果として生活のしづらさが付き纏うことだろう。
周囲には、それをカバーする具体的な対策が必要と思う。
たとえば身内などに遠慮なく堂々と応援を要請する。
日常的作業に工夫を凝らして利便性(効率性)を図る。
などなど。

ADHD な人は怠惰であると誤解されることが多い。
しかし、「わざとではない」と信用できるかどうか。
ということに結局なるのだと思う。

月並みだが、この信用という土台の上に初めて家も建つ。
「こうであれば信用する」「こうであれば信用しない」と言っているうちは「信用」の意味を知らないのと同じことになる。
「信用」というのは何でもかんでも目をつぶることではないはずだ。
指摘すべき点は指摘すればいい。
ただ、どのような気持ちでADHD な相手を自分が見ているのか、ということをまず検証してからでなくては、不毛のやりとりになってしまう。
指摘すべきは指摘すると同時に、指摘されるべきことは指摘される。
という姿勢が必要になるわけだが、 
絡まった糸口を、まずどのようにほぐすか、という知恵は必要になる。
糸口をほぐす古来からの方法は、ひとまずどちらかが折れるということだ。

下は、以前記事にした時の参考サイトのひとつ。
http://homepage2.nifty.com/ryantairan/anke-tokekka.html
こんなこと言われていたら、顔見るのも声聞くのも嫌になるだろうな、と思う。
ADHD な人の周囲がみなこうだとは思わないが、やはり条件つきで相手の人格を値踏みしようとする、言う側自身が仮に同じようなことされたらとても耐えられないことを平気でやっているパターンが多いような気もする。

不便なことは補い合って、工夫して、お互いに相手のせいにしないのが共存、ということなのだと思う。
余談だが私には他人の家庭を壊すという趣味は全く無い。
 
posted by hakobulu at 14:22| Comment(13) | TrackBack(0) | ADHD って何 ? | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年04月22日

a fraud

使用前
before.JPG


使用後
after.JPG


詐欺!
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米ひとつかみ入れて湯がいた後、
わかめ入りの煮物にして、
残りは翌日竹の子ご飯に。
どちらもビールによく合いました。
詐欺被害も忘れてとりあえず満足。
初めてにしてはまあまあの味でした。
 
posted by hakobulu at 01:14| Comment(8) | TrackBack(2) | 日々雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする