◇◇◇1≪ 排斥としてのいじめ ≫◇◇◇
いじめの目的には2つあるような気がする。
「排斥するためのいじめ」と「支配するためのいじめ」だ。
「排斥するためのいじめ」は、「異質と感じるもの」の排除欲だろう。
なぜ異質と感じるものを排除しようとするかといえば、それは異質と感じるものによる自らへの影響を怖れるからだろう。
私たちには多かれ少なかれ、他者を相対的存在として認識することによって自己の存立基盤を築こうとする無意識が働いているはずだ。
多少なりとも、他者の存在に照らし合わせて自分というものを確認しようとする部分がある。
だからもっと正確に言えば、異質と感じるものに照らし合わせた場合、それまでの自分というものが覆ってしまう恐怖を覚えるのではないか。
異質な事柄自体もそうだが、それ以上にその異質な事柄を身に纏って平然としている相手の存在を脅威に感じてしまうのだろう。
それゆえ排除しようとする。
一種の防衛機制と言ってもよい。
誰かを攻撃するように見えて、実は自らの身を守るための行為だというところがいじめ問題の根深さだろう。
ところで恐怖というものは、喜怒哀楽や悲しみなどに比べてもっとも古くから人間に存在する感情らしい。
非常に古典的というか原始的な感情で、言われてみれば感情に乏しい、または殆どないと思われるような魚類・爬虫類・鳥類やねずみ、うさぎなどの哺乳類においても恐怖だけは必須の感情として生来的に獲得されているもののようだ。
生きるためには、まず敵から身を守ることが最重要課題であることは否めない。
恐怖は脳の扁桃体という箇所で生み出されるらしいが、ここに損傷を受けると例えば猿の場合、普段は決して近づかない犬や蛇に平気で近づくようになる。
恐怖は身を守るための必須アイテムとして備わっているものらしい。
人類の最初の祖先が地球上に現れた時も、恐怖という感情が備わっていただろうことは想像するに難くない。
地球ができたのは約46億年前とされる。
人類の誕生はネアンデルタール人などに代表される旧人で4〜50万年前、クロマニョン人などの現世人類と呼ばれるもので約20万年ほど前ということになっている。
自分たちとは異質の動物の影に脅えながら生活していたであろうこの頃の人類の脳と同様の恐怖を、いじめる者は無意識的に感じているはずだ。
「いじめられる者」とは「いじめる者にとっての」脅威なのではないだろうか。
つまり、他者の異質さに脅威を覚えるものがいじめをするということかもしれない。
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しかし、異質と感じたとしても脅威を覚える人とそうでない人がいる。
そもそも異質という感覚さえ持たない人もいるはずだ。
この違いはどこからくるだろう。
思えば、「異質」という感覚は「理解できない」「理解しづらい」という認識に基づいていないだろうか。
つまり「何か理解できないから怖いので排斥しようとする」といういじめの形態があるのだと思う。
他者を理解できないのは主に想像力の欠如によるものだろう。
人は、幼い頃にどのような刺激を受けたかにより世界の捉え方が全く違ってくることもある。
想像力に関しても、幼児からの教育環境が重要な鍵を秘めているのではないかという気がしてならない。
ところで、排斥不可能と感じさせる相手に対しては排斥しようという気力は起こらない。
『ある相手に対して何か理解できないという怖れを抱くものが、排斥しようと思えばできそうだという見当をつけた時にいじめという形が出現することがある。』ということになりそうだ。
排斥不可能と思わせるのは、『毅然とした姿勢』を以ってその最大のものとするのが妥当ではないかと私は思う。
無論、理解できないという認識を抱かせないようにすることも効果があることになるだろう。
媚びる必要は全く無いし逆効果になるが、いじめられる側としては相手に安心感を与えておくことも有効だということになると思われる。
◇◇◇2≪ 支配としてのいじめ ≫◇◇◇
排斥ではなく、支配し従わせるためのいじめというものもあるだろう。
支配し従わせたくなる対象とは、すなわち自分自身との共通点を抱えている人ではないかと思う。
どのような共通点か。
それは自分と同様の弱さだろう。
何らかの理不尽な力に対抗しきれずに不当な抑圧を甘受してしまっている者。
その色を無言の内に表現してしまっている者。
そういった者を、容易に支配できる弱者として、いじめる者は敏感に察知するのだろう。
では、支配しようとする目的は何か。
それは自分が過去に受けたいじめ、あるいは抑圧の清算だろう。
自分が受けた理不尽な力は貯めておくだけでは苦しくなってくる。
吐き出す必要が生じるわけだが、いじめる者にとっては自分が被害者だった時と同様の状況設定の下で吐き出されることが望ましい。
「同様の状況」とは、抵抗不可能な情けない弱者に対して一方的で圧倒的な力が行使される、ということ。
かくして、弱者と認定されたものが執拗に狙われ続ける。
いじめるほうにしても、自らの惨めな過去を清算し、一旦は受け入れてしまった負の記憶を帳消しにするための絶好の獲物といった認識を持つはずだ。
過去の自分を癒す手段としてのいじめ。
誰しも、ふと誰かをいじめたくなった経験はあるはずだ。
その時、相手の中に過去の惨めな自分を見出すことは、そう難しいことではないだろう。
いじめる者は、過去のふがいない自分に復讐しているという見方も可能かもしれない。
つまり、ここにも『イラショナルビリーフ(不合理な思い込み)』が存在している。
いじめる者の立場に立ってみよう。
今いじめる私はかつていじめられた者である。
しかし、今いじめている相手はかつて自分がいじめられた相手ではない。
いじめられ、抑圧された記憶を自らのものとして処理できない者が、目の前にいる弱者を過去の自分に見立て、いじめる自分を過去に自分をいじめた相手と重ね合わせる。
そして、自分がされたこと(理不尽な抑圧の行使)を自分が相手にする。
このようにして清算を済ませた気になる。
抑圧された記憶を自らのものとして処理する、とはどういうことだろうか。
それは、過去の事実を事実として認め、自分が対峙すべき相手を見極めること、だろうと思う。
不合理な思い込みから合理的な事実の認識へ、という転換が必要になる。
不合理な思い込みをしてしまいがちなのは、そのほうが楽だからで、つまり自己変革を必要としないからではないかという気がする。
【いじめの心理学の最新記事】


何度もうなずきながら読ませていただきました。
ところどころ、耳が・・いや・・目が(?)痛いです・・。
>不合理な思い込みをしてしまいがちなのは、そのほうが楽だからで、つまり自己変革を必要としないからではないかという気がする。
:このへんなんか特に。
「排斥のため」「支配のため」・・・なるほどです。
どちらも害の大きすぎる「自慰行為」ですね。
「自慰行為」をしないではいられない人たちを単純に責める気はありませんが。
どちらにも共通して言えることは、
「自分も他人も、『一個の、単独の、独立した、個人である』」
という感覚が乏しい、ということではないかと思います。
恥ずかしながら、未だに私にも、そんな部分があるのですが、
「単体」になり切ることが、とても淋しくてとても怖い人たちなのではないでしょうか。
自分と異質なものを、認められない・許せない、というのも、
自分と「同化」「融合」できない、
という孤独感・・
に基づく恐怖・・
に基づく苛立ち、なんかもあるのかもしれません。
自分を承認・肯定してもらえないかもしれない、
という恐れなんかもあるのかもしれません。
「支配することができる対象」を「必要としている」人もまた、
「単体」になり切ることができないまま、
普段(あるいは過去に)、別のところで、
自ら、誰か(あるいは何か)に服従している(してきた)のではないかと、
そんな風に思えてならないのですが・・。
「連鎖」に関しては、私も気になるところです。
「受け容れにくい感情」の「ゴミ箱」が、他人であれば、
その人は、拒否することも、離れていくこともできますが、
家族(特に5歳や3歳の子ども)の場合、
自ら「離れていく」ことを選択することもできずに、
「ゴミ箱」の役割を引き受けざるを得ないわけで。
なんとか断ち切りたいものです。
私から子どもに伝わる「歪な思考回路・歪な習癖」を、
完全に無くすことはできないかもしれないけれど、
少しでも「私は私で」「子どもは子どもで」生きられたらいいな〜と思います。
PS.
昨日、ちょうど、扁桃体と回避と恐怖について書かれているところを
読んでいたところです。本当に、驚きの連続で、時間を忘れます。
案外、自分の意思で、自分を操ることができないものなのだな〜と思うと、
一瞬、絶望しかけ、その後、なんだか救われました。
PPS.
海、きれいですね。
私が住んでいる県には海がない!ので、うらやましいです。
夏は、川の上流で行水+ランチです。
それはそれで好きなんですけどね。緑もキレイですし。
それにしても、もう何年、海を見てないだろ。
ちょっと海が恋しいです。
>耳も眼も痛くなる必要はありません。
私などは体中が痛くてどうにもならなくなるでしょう。
つまるところ、自分に覚えのある要素しか人は語れないのだと思います。
誰かに話しかけているとすればそれは自分自身であって、救いたいのは自分だというのが実際のところではないでしょうか。
高所からの物言いになってしまいがちなのは客観的に考えたいための表現法でもあるのですが、本質的には単なるやせ我慢にすぎないのだろうという気もしています。
そんな私ですので「さま」はご勘弁ください。^^;
「>「単体」になり切ることが、とても淋しくてとても怖い」のは、
「>自分を承認・肯定」してもらった記憶が弱いからということになるでしょうか。
全く同感です。
変なたとえですが、乱暴で無茶苦茶な親の元でもとても素直に育つ子供がいます。
あるいは片親でもひねくれず育つ子も多いでしょう。
親が、物としてではなく人として子供を愛していれば、それが「承認・肯定」ということになるのかもしれません。
無理に突き放す必要もないのでしょう。
感情のまま自然でいいんじゃないかという気がします。
「進化しすぎた脳」は後半に入ってやや難しくなってきたようで、所々すっかり理解できない箇所が出てきています。
何回か読み直す覚悟で、とりあえず通読してみようというスタンスに変わってきました。
最近は、何かの折に自分の頭蓋骨の形と中身を想像したりして変な気持ちになることがあります。
「>川の上流で行水+ランチ」
清流ですか、いいですね。
浜辺はゴミがよく打ち上げられていますし、犬の○○が落ちていたり、花火の燃えカスが散らばっていたりでなるべく視線を遠くに定める工夫が必要になります。
遠くにうねる波の動きと輝き。
それに伴う潮の香り。
これらと相殺といったところです。
「いじめ」とはちょっと違うかもしれませんが・・
ですからちょっと的外れかもしれませんが・・
以前、2年ほど前でしょうか、自分の異常な破壊欲(?)が怖かった時期があります。
勝手に溢れる怒りを止めることができなくて、
腕力で歯ブラシを折ったり、ぬいぐるみに包丁を刺したりしたことがあります。
この破壊欲(?)が、他のものに(例えば人間に、特に子どもに)
向かってしまうのではないかと、ときどき怖くなる、ということを、
ある所で話したことがあります。
そのとき、言われたのが、こういうことでした。
「虐待ってのはね。あれは、『逃げ場』が無い人がやるんです。
子どもを見ていてムカついてしょうがないなら、
勝手に遊ばせておいて、あなたは布団をかぶったっていいんです。
子どもを誰かに預けることだってできるんです。
『逃げることができる』というのは、とても大切な概念ですから
覚えておいてくださいね。」
〜〜〜※※※〜〜※※〜〜〜※※※〜〜〜※※〜〜〜
今は、感情を処理する手段には、
案外、選択肢がたくさん転がっていることがぼんやりと分かり、
「こうしなければならない」わけではないことも、ぼんやり分かります。
ただ、未だに、見つけるのが下手で、的確に選択するのも下手で、
選択したことを実行するのも下手ですが、
選択肢がたくさんあるということがぼんやり分かるだけで、
かなりラクになれます。
「加害者」の中には、別のところで「がんじがらめ」になっている人も
いるのではないかと思い、ふと思い出したことを書いてみました。
それでは。
>「加害者」の中には、別のところで「がんじがらめ」になっている人も
いるのではないか
:そうですね。
別のところなど無いような振りをして私たちは日々を過ごしているわけですが、加害者こそ最初の被害者であることは間違いないでしょう。
>勝手に溢れる怒りを止めることができなくて
:これは私もありますが、意識的に出しきるようにしています。
気の済むまで吐き出します。
昔よく聞いた皿を投げつけて割る、というのなんかとても優れた怒り解消法だと思います。
物質としての皿は割られることによって初めて安定するわけで、自分の感情を皿に投影できる上に効果音付きですからね。
それでも、ちゃんと安いものを選んで投げていたようですが。
なんと「>腕力で歯ブラシを折ったり」できるのですか?
ムム・・・。
あれは弾力があると思うので意外と難しいでしょう。
女剣士をなぜか想像してしまいます。
因みに、時代小説お勧め断トツの一位は藤沢周平の用心棒日月抄シリーズ4作です。もし興味をお持ちでしたら、
「用心棒日月抄」→「孤剣」→「刺客」→「凶刃」という順でどうぞ。
(連続物というわけではないのですが、登場人物の関係などでこの順は必須です)
このシリーズ出てくる佐知という女忍者を連想してしまったわけです。
次やるときはインスト御用達の美しい指を傷つけないように十分ご注意ください。
「>ぬいぐるみに包丁」というのもなかなかシュールな光景。
そばに佇む一人の美女。
絵になります。
>『逃げることができる』というのは、とても大切な概念
:というのは良くわかります。
「逃げる」ことも無論有効な場合があるわけですが、それ以上に「できる」と思えることがゆとりになるのでしょうね。
空中で綱渡りをしていると思っていたが、実はロープは地上に置かれていたということに気付く。
いじめの心理に関しては、もう少し切り込んでみたいと思っています。
辛かったのに反省したり、冷静にちゃんと自分に向き合ってるお二人は素敵です。
私は親がこの世で一番苦手です。態度に出さないよう気をつけていますが、今でも親孝行が出来ないんですよ。ちっとも自己変革できないんです。
ある時サイトで、親が今まで私にしたこと、してくれなかったことで、何も感謝することもないし許せい。早く死んで欲しい。と相談して、回答者の人で同情してくれた意見もあり、救われたのでした。
その中で一番泣いたのが「よい子になってください」という強い言葉でした。
私も本当は良い子したかったんですよね。ずっと今もちゃんと親離れしてないかも、そうだと思います。
それを気付かせてくれました。
…まだ良い子してません。
今更無理絶対。
親も私も墓まで恨みを(お互い)持って行くしかないかな・・。
(ついこう呼んでしまうのですが、美子さんのほうが良ければ次からそうしますので、自己申告^^;お願いします。)
親との確執は人それぞれで千差万別でしょうね。
野生の動物のように生命維持だけの目的であれば親子のつながりももう少し割り切りやすいんでしょうが、幸か不幸か心というものが属性として備わってしまっているぶん厄介です。
冷静に向き合っているように見えるとすれば、あくまでポーズにすぎないでしょうね。
海底に沈んでいるのかもしれませんが、得たいの知れない泥が多かれ少なかれ誰の心にもあるはずです。
今、脳科学の本(「進化しすぎた脳」:読みやすくて面白いですよ)を読んでいるのですが、人間の意識や意志なども現象的には脳の神経伝達物質の作用によるみたいです。
しかし、最初の引き金として未解明の力が働くはずで、それがやはり自分である証明になるのかな、などとぼんやり考えたりしている最中(「もなか」と読まないでくださいね)です。
>親も私も墓まで恨みを(お互い)持って行くしかないかな・
:許す許さないは別にして、親も人間ですから、その人なりの生き方よりできないということはあるでしょうね。
でもたぶん、何でこんな関係しか築けないんだろうと内心悩み戸惑い、ある瞬間にふと物悲しい気持ちになることはあるのかもしれません。
ただ、子供というのは親に対しての完全なる弱者として全くの無抵抗時代を過ごしますから、特別に何かひどいことをされたということでなくとも、色々と問題のある強制的影響は受けるのが常ですね。
mikoさんのご家族に波風を立てる気はありませんが、「>態度に出さないよう気をつけて」いないで大いに出すほうがいいんじゃないかなという気がします。
あのときあんなことした。あんなこと言われてどんだけ辛かったか知ってるのか。とか、ともかく好き放題言ってしまうのはどうですか?
無理そう・・・?
「今日は言わせて貰うよ」てなもんで、とことん行く。
そういう感情を抑えていることはたぶん通じているような気がします。
全て打ち明けたほうが親孝行になる場合もあると思うんですけどね。
話は変わりますが、ブログやってみてはどうですか?
私のようなパソコン音痴でもすぐできましたから大丈夫ですよ。
気の向いたときにmikoワールドを記録して行くのも案外面白いかもしれません。
自分の考えを公開するというのは、やはりエネルギーの転化であり、ある意味での昇華作用もあるような気がします。
では、今日はこのへんで。
良い子にしてお休みなさい。
ている娘と、夜行性の回し車を回し続けるハムスターを尊敬中。
呼び方は漢字だと名前負け残念(汗)というのがありまして、
こちらこそ馴染まれているmikoで行きます。
人は自分が完全に正しいと思うなら感情的にならなそう。
違うかもしれないけど、心の奥底で自分の間違いに気
付いていて、どうしようもない気持ちは意志で止めれ無さそう。
>子供というのは親に対しての完全なる弱者として全くの無抵抗
時代を過ごしますから、特別に何かひどいことをされたというこ
とでなくとも、色々と問題のある強制的影響は受けるのが常です
ね。
そうです、こちらも憎みながら負い目があって、他人だったら関係
の清算も出来るのに親子は割り切れないまま、子供から親を捨てる
ことって親が子供を捨てるより難しいかと思います。未だ親なして
生きてこれない時代の私を思い出したり、一番影響力のある、誰よ
り愛しい人でしたから。可愛かったですね(自分でいう)。
社会に出てから自分に常識ないことがわかり、かなり社会性を付け
たのですが。変な親子です。変過ぎて無理!だと思います。人に迷
惑が掛かってしまったり、生活が出来なくなるぐらいまでならない
と変われ無さそう。
プログですが、実はこっそりオープンしてます。ってhakobuluさん
URL貼ってたの気付いてなかったのね!!!!!!!。ワハハ…。
と笑ってごまかす。→ http://blog.goo.ne.jp/miko-desi
です。
それから、すいません。まだ何も言われてないのに先に言いますが、
ご好意の上ででもリンクは遠慮して下さい。
hakobuluさんの品位を落としかねないし、瀬里香さんも構ってくれ
て感激でありがたいのですが、絶対にしてはなりません。いつ放置
プレーしだすかもだし、結局しょぼいまま終わるだろうし、何か迷
惑がかかるもしれません〜。