なぜ周囲が気づいてくれないのかと藁にもすがりたい気持ちがある一方、誰にもこのいじめを解決することはできないだろうという深い絶望感にさいなまれている人も多いように思います。
児童・生徒の場合、いじめの内容はおおよそ以下のとおりです。
『悪口を言う・からかう・仲間外れ・無視・殴る・蹴る・物を隠したり汚したりする・言い掛かりをつけたり脅したりする・用事を言い付ける・嫌がること(恥ずかしいことなど)を強制する 』
大人の場合も基本的には同様でしょう。
今回は、いじめについてあなた自身が気づいていないかもしれない角度から考えることで、解決の糸口を探ってみたいと思います。
いじめから抜け出す方法に絡めて述べていきますが、いずれにしても各人が納得した方法より取れないわけですから状況に応じて使い分けていくしかないでしょう。
◇◇◇方法1≪ 毅然と無視する ≫◇◇◇
いじめを受けているという事実と、それで悩むということはまた別の問題だということに気づいて欲しいと思います。
無論、無視できないいじめもありますがそれについては後ほど述べます。
ここでは、考え方次第(視点を転換する)で事態が大きく変わることもある、ということについて述べていきます。
【悪口を言う・からかう】
他人の欠点や短所をあげつらうことですね。
あなたはこの行為自体をどう思いますか?
嫌だと思うし憎しみもわくでしょうが、そういうことを言う人ってなんかとっても卑屈な精神、そしてちっちゃい人間だなあ、と思いませんか?
そういうことを言うときの表情は必ず歪んでいますし、もし顔が笑っていたとしても目には狂気じみたものが宿っていることにお気づきになるでしょう。
自分自身につらいことのある人がこういうことを言うんですね。
なぜかというと、自分よりもっとつらい人を作れば自分はつらくなくなると(無意識的に)勘違いしてしまうんです。
たとえば家で親にいつもいじめられていたり、または全然可愛がってもらえなかったりするような人かもしれません。
大人になっても、そういった自分の問題を他人に転嫁して解決しようとする人は実際問題として多いでしょう。
ですから、いじめをする人というのは実はとても可哀想な人だと思って間違いありません。
そんなことを言ったりするなんて後で自分が惨めになるだけに決まっているのですが、でも、その場では気づかないのでしょう。
『あなたは今、自分自身をどれほど貶めているのか気づいていないんだね。可哀想に。』
こういう思いを目の光に込めて毅然と見返してやりましょう。
あなたが悲しまなければいじめる意味がなくなります。
その上で、後は徹底的に無視します。
そんなつまらない人間にいつまでも関わっている時間がもったいないと考えるのです。
そういう人たちもいつかは自分で気づく時がくるでしょう。
たとえ気付かないとしてもそれはあなたには何の関係もありません。
その人たちの人生はその人たち自身が築いていくしかないのですから。
むしろ、あなたが毅然とした無視を行うことによってその人たちが自らの非を深く思い知るきっかけになるはずで、そういう幅広い視野で考えても「毅然と無視する」のは効果的な方法と言えます。
この場合、自分に何か原因があるのだから悪口を言われてもしかたないとか、からかわれるのも当然だなどと考えて、自分で自分を追い込んでしまう方もいますがそれは間違いです。
万一、何らかの原因があったのだとしても、悪口やからかいという手段で他人に不快な思いをさせるのは絶対的に非人間的な行為なのだ、ということを良く知っておく必要があります。
あなたがどんな場合であっても他人にそうしてはならないように、あなたも他人からそうされるいわれは全くないのだ、ということです。
いじめは理由の如何に拘らず非人間的行為だ、というのはそういう意味です。
こういう条件があればいじめても良い、などということは決してありません。
あなたが他人にしてもいけないのと同様に、他人があなたにすることも許してはいけない行為なのです。
いじめによってあなたが微動だにしていないことを相手にわからせることは、いじめを許さないひとつの方法になります。
【仲間外れ・無視】
この場合、相手方は多数になりますが全員があなたを無視したいわけではないはずです。
でも、自分が仲間はずれにされるのが怖いので表面上は他の人に同調しているというパターンが殆どでしょう。
ここが非常に大事で、表面的にはどうあれ心底あなたを無視しようという意図を持っているのは、ほんの僅かの人だということです。
とはいっても仲間はずれや無視されるという現実がなくなるわけではないので、つらいことには違いないでしょう。
では、なぜつらくなるのでしょうか。
最大の理由は他人との関わりを求めるからでしょう。
人間であれば他人との関わりを求めるのは自然ですが、あなたを無視しようとするような人たちとまで関わりを持つ必要はないんじゃないでしょうか。
無視してくれてちょうど良かったぐらいの毅然とした気持ちで無視する人を無視するのです。
そのようなつまらない仲間と表面上の付き合いができたとしても「烏合の衆」の一員になるだけなのは目に見えています。何のプラスにもなりません。
人生やるべきことはたくさんあります。
自分を磨くちょうどよいチャンスぐらいに考えて堂々としているのが一番です。
そして上辺だけの仲間を作るよりも、何か本当に打ち込めることを探してそれに一生懸命になってみてください。
違う地平での本物の出会いが必ずあなたを待ち受けているでしょう。
ひたすら孤独を我慢するということでもなく、頑なに殻に閉じこもるということでもありません。
偽物の交わりからは一旦積極的に身を引いて、自分の内面と向き合う絶好の機会と捉えるということです。
この点については、後ほど≪方法4≫でもう少し述べるつもりです。
◇◇◇方法2≪ 立ち向かう / 助けを求める ≫◇◇◇
「立ち向かう」ことが有効な場合もあります。
他人をいじめる人というのはいじめられる人の気持ちが全く理解できていないために、大したことはないだろうと軽い気持ちでやっている場合も案外あるからです。
からかわれたりした時に、
『そういうことを言われる(される)のは本当に嫌なので絶対やめてくれ』とはっきり言うことで、あっけなく止む場合もあります。
とはいっても勇気が必要なことであるには違いないですね。
でも、人生のどこかでとても大きな勇気が必要とされる場面は必ずやってきます。
そして「自分の気持ちをはっきり言えた」という経験は、間違いなく確かな自信となってあなたの以後の人生に大きな役割を果たすことになるでしょう。
難しいと考えれば確かに難しいのですが、『嫌なものは嫌』とはっきり言えるスイッチを入れることで状況が好転する場合も多いのです。
「嫌だ」と言っているのにやめてくれない場合は、すぐに他の人(大人)に助けを求めることが大事です。
【殴る・蹴る】【言い掛かりをつけたり脅したりする】など、肉体的暴力・金銭的被害・物質的被害を受けた場合も同様です。
これはイジメではなく明らかな犯罪なので、警察が対処すべき事案だという認識が必要です。
つまり、この場合の立ち向かうとは「助けを求める」ということです。
「助けを求めよう」と思い立つだけでもとても勇気のいることですが、同時にとても大事なことなのです。
もしあなたが学校で学ぶ児童・生徒で警察に言いづらければ、先生かご両親、あるいは親戚の人でもよいですが信頼できる大人にすぐに連絡しましょう。
この場合は無視していてはダメです。
たとえ相手が「冗談のつもりだよ」などといってしらばっくれても、あなたが嫌だと思えばそれはいじめなのです。
はっきりとその気持ちを大人に伝えることがとても大事です。
これは相手がどんなに身近な人であっても同じです。
たとえば、何も悪いことをしていないのにしょっちゅう殴られたり、痛いことや嫌なことをされたりしているのであれば、それがたとえ自分の親であっても立ち向かう必要があります。
決して我慢している必要はありません。
ご両親のどちらか、または親戚の人や先生が身近な大人になると思います。
担任の先生に言いづらければ保健室の先生でもいいですし、校長先生に手紙を書くという方法もあります。
最終的には警察に委ねる場合も十分考えられます。
こういった直接的被害は大人も対応しやすいものです。エスカレートしないうちに勇気を出して知らせましょう。
道で他人に殴られたり、家に泥棒に入られたら警察に連絡するのと同じことです。
放っておくと必ず同じことが繰り返されるでしょう。
変な話ですが、仮にあなたに何か原因があったとしても、法律はこういった行為は決して許さないようになっています。
子供同士の場合、【物を隠したり汚したりする】【用事を言い付ける】【嫌がること(恥ずかしいことなど)を強制する 】などというのは、かなりエスカレートした後だと思うので直接的に立ち向かうといっても難しいかもしれません。
常態化しているはずですから、考えようによっては殴る・蹴るよりさらに悪質ないじめと言えるでしょう。
「用事を言いつける」なども、断りきれないようないじめの関係がすでに築かれているはずです。
これも思い切って大人に話すことが大事です。
こわがることはありません。
そして恥ずかしさは捨てましょう。
大人というのはあなたが経験していることの何倍も恥ずかしいことをたくさん経験してきて、それでも何とか生きている人が殆どです。
あなたがどんな目に遭っていても決して驚いたりはしません。
あなたを救いたいと思っている大人は実はたくさんいるのです。
最近いじめは社会問題化しています。
仕返しなどがないようにきちんと対応してくれるはずですから、勇気を出して助けを求めてください。
気持ちを落ち着かせる手軽な手段として丹田呼吸法というものをご紹介しておきます。
やってみるとわかりますが、これはなかなか効果があるようです。
身近な大人にどうしても話しづらければ、
いじめの相談を受け付けてくれる機関が全国どこにでもあります。
教育委員会・人権相談所・児童相談所・警察本部(少年課)など他にも非常に多くの窓口が用意されています。
住所や名前を聞かれるわけではありませんから、匿名で話を聞いてもらうだけでも抜け出すヒントが得られるかもしれません。
◇◇◇方法3≪ 逃げる ≫◇◇◇
今いる場所から逃げだすという選択肢もあります。
狂犬から逃げるしかない場合もあるということです。
あなたが学校でいじめを受けていて、どうしても解決できそうになければ学校を換えるか辞めれば良いのです。
小学校や中学校は義務教育だから辞めることはできない、と思っている人もいるかもしれませんが、それは違います。
親が自分の子供を学校に行かせる義務があるという意味で、子供は学校に行く権利はありますが絶対行かなければならないと法律で決められているわけではありません。
実際的には学校によって見解が分かれているようですが、小中学校の場合、基本的には出席日数が殆どなくても卒業はできるのです。
これは文部科学省の「学校教育法施行規則」というものに基づいています。
それだからこそちゃんと学校に行かせる義務が親にはあるわけです。
学校をやめたら上の学校に行けなくなると心配する人もいるでしょうが、そんなこともありません。
中学校卒業程度認定試験というものがあり、この試験に合格すると中学校を卒業していなくても高校を受験することができます。
専門家会議の答申では、いじめによる不登校の場合も中学校卒業程度認定試験を活用するよう提言しています。
将来自分のやりたいことをするためには、高校や大学での勉強が必要になる場合が多いと思います。
しかし、高校受験のために基本的には一人で勉強することになりますからとても大変なことですし、強い意志が必要になるということは良く理解しておく必要があります。
他には、フリースクールに通うという選択肢もあるでしょう。
全国では大体三十校以上あるようです。
高校生の場合は、「高卒認定試験」(昔の「大検)」ですね)に合格すれば大学を受験することができます。
以前と大きく変わったのは、在学したままでも受験できるようになったことでしょう。
下記のサイトにも詳しく載っています。
http://www.kousotu.com/nintei/
通信制高校に在籍するという方法もあります。
社会人の方の場合も、会社でのいじめからどうやっても抜け出せないのであれば、最終的には辞めるという選択肢が残されているという単純な事実を忘れないで欲しいと思います。
◇◇◇方法4≪ 自分を変えてみる ≫◇◇◇
「最終的には辞めるという選択肢が残されている」と述べましたが、できれば辞めたくないと考える人が殆どでしょう。
学校でいじめを受けている場合、いじめる人以外の皆とは仲良く共に学びたいはずです。
社会人であれば、生活のかかった仕事をそう簡単にやめるわけにいかないのも事実です。
人間は様々な環境からの刺激・変化に対応しながら生きています。
全く刺激がないと人は成長できません。
しかし、自分の手に余るような刺激を受けると潰れてしまいます。
ですから、そのようないじめに遭ったら堂々と他の人に助けを求めるのが最善の方法なのです。
決して一人で悩んではいけません。
それが今までに述べてきた内容です。
この4番目の方法は、そのような対応と並行して、自分が受けているいじめというものを自分が飛躍するためのひとつのきっかけとして利用してしまおう、というものです。
誤解しないでいただきたいのですが、いじめる相手の気に入るように自分を変える、ということでは決してありません。
何かを「乗り越える」という経験をすることで人は進歩していきますが、このいじめをその絶好の機会と考えるわけです。
「自分を変える」とは何かというと、『視点を大きく転換して世界(周囲)を見る』ということです。
有名な話ですがコロンブスは、楕円形の卵が立つわけがないという常識(視点)を大きく転換し、その底を潰すことで卵をテーブルの上に立ててみせました。
先ほど述べたように、「いじめる人は実は弱くて可哀想な人間だ」というのもひとつの視点の転換と言えるでしょう。
また、太っているといっていじめられる人がいるとします。
でも、太っていることを自分自身で何とも思っていないとすれば、他人がそのことをからかったとしてもいじめとは感じないかもしれません。
「太っていて悪いか。あんたに何の関係がある。」と言い返すことができるでしょう。
太っていることを気にしている人がそれを言われることで、いじめという形ができあがっていきます。
でも、それを気にするのは自然なことですから、人の気にしていることをからかったりするのが非人間的で卑劣な行為であることに違いはありません。
ただ、考え方を変えることができれば楽になることは案外あるはずです。
初めのほうで「内面と向き合う」ということにも少し触れましたが、これも別の角度から(視点を変えて)自分自身を見つめ直してみるということです。
私たちは人間関係の中で暮らしていますから、好むと好まざるとに拘らずお互いに影響を与え刺激し合って生きていることになります。
いじめがその関係性の中で起きているということは確かな事実でしょう。
視点を変えて自分と向き合うということは、そんな関係性の一方の側である自分自身を変革してみる、ということにつながります。
ただし、いじめから逃れるためではなく、自分自身を向上させるためという積極的な意図を持って行うことが大事です。
いじめがあろうが無かろうが、自分と向き合うということは無駄なことではありません。
自分を主人公にして文章を作ってみるのも効果があるでしょう。
状況を客観的に確認することになり気持ちの整理ができるので、前向きの考え方につながる可能性があります。
視点を変えて内面と向き合っていると、いじめられている自分の状況を俯瞰して見れるようになるでしょう。
当然の権利なのですが、自分をもっと大事にして良いのだということに気づけるかもしれません。
◆
いじめの形態は様々だろうから一般的な問題として述べることはなかなか難しい。
今回は目に見えぬいじめられている方への手紙のつもりで記してみた。
大した役には立たない内容かもしれないが、エールを送る者がここにも一人いるということを伝えるだけでも何らかの意義があったと思いたい。
今後、いじめについて気のついたことがある毎に心理的側面を重視しながら記していきたいと思っている。
いじめは人間の本質につながっているような気もする。
記しながら考えるというパターンは変わらないだろうが、何かが見えてくるのか徒労に終わるのか。
そのうち、「人はなぜいじめるのか」について考えてみたい。

